希望を見失ったにもかかわらず100点満点なんですよ、きっと。

ちょっと色々と悩んでしまう出来事もあり、「希望」を見失いそうな時期が続いていました。
にもかかわらず関わらず100点満点って言い切れそう(笑)
忘れないうちに書いておきます。

はい。
私、減点評価、ジャッジの世界から降りました。
ジャッジや評価って、人が人へするものではなくて、触れられない次元にあるんじゃないのかなぁ?と考える出来事もありまして。(神様を信じようとか、そういうニュアンスではない)
「いま、ここに、いる」、それだけで100点満点。
「やった」or「やらない」、「できた」or「できない」で人を判断してはいけないのかなぁ…と。

あ。
もちろん、こと(問題)を、いかに素晴らしくするにはどうするか?を語っていくのは必要である。

価値観が広がったこともあるんだけど…。
何気無い出来事の中に自分の希望、幸せもあって。
希望を見失いかけていたからこそ、見えたこともあって。

・慕える先輩が側にいた。側にいたのは知っていたけど頼れること、甘えてもいいことに気づけた。
・慕ってくれる後輩もいた。側にいたことは知っていたけど、先輩だから頼られるばかりではなくて頼ってもいいと気づけた。
・同じ業界で働き、認め合い、競い合える仲間もいた。
・友達もいた。
・直接的な関わりは少なかったけど見守ってくれている人もいた。

僕が、何をしたって、見放されるわけではなく、100点満点なんだなぁ…と思えて。
あ、犯罪とか他者へ迷惑をかけてしまうことはいけないかと思います。

わーきゃー、わめいて、離れていかず、壊れず、残っていた何かが残したい何か…なのかもしれません。

だからこそ、僕も誰かへ、何をしたって、100点満点だと思えたらいいなぁ。