相手は変えられない…って言うけれど。

「過去と相手は変えられない、未来は変えられる」って言葉、よく聞きます。

ちょっと考えていたら、「相手は変えられない」って誤った解釈をしている気がして。

相手を自分の思い通りには変えられない…ってことは事実だと思います。
そこは同意です。

だから自分が変える。
その結果、相手を避ける…って自分の行動を変えるとかあると思う。
別に否定はしないけど、結局は受動的で、何だか自分の可能性も相手の可能性も信じていない感じもして、そこに違和感もあります。
相手は変わっていないし自分にとっての不都合があるのならば、望む未来に変えられたんだろうか?

望む未来に変えられたんだろうか?
ここに違和感があるのです。

私は、相手を変えられるとも考えて。
自分と相手との関係を望む形にするって意味で変えていくことは可能だと考えている。
交渉する、折り合いをつけるってことです。
自分の言葉や振る舞いを変えて、結果的に相手の言葉や振る舞いも変えていくってことでしょうか。

別に仲良くする方法を考えようってことじゃなくて、影響が大きいから距離を考え直したいって話し合いをしたって良いのです。
伝える方も、伝えられる方も、苦しいかもしれませんが。
でも可能性を信じていないから動けないだけ…とも思ったり。
相手の理解力の無さが原因だと捉えて、自分の表現力の無さを隠していないのか??って問われていると考えています。

だから、自分の行動を受動的な行動から、能動的な行動へ変えて、見返りを求めず相手へ働きかけるってことは可能かと考えました。
もちろん、こうやって理想を語るのは簡単で、行動にするのは難しいけれども。

実際に行動していくのは難しいし、私は語る筋合いが無いほど苦手で出来ていませんけど、自分も相手も大切にしながら生きていけたら良いですよねぇ。

まぁ、受け身な部分はあるし。
一番、自分が大切で他者なんて、どうでもいいって狂気も心の中には存在しているでしょうし。
ただ自分が誰かを切り捨てながら生きるってことは、いつか自分自身が誰かから切り捨てられることも覚悟の上で選択しなければならないんじゃないか?
その世界観は有っても良いけど、僕は共感できないかなぁ。
そういうことでしょうか。