『研究テーマが増えて100点満点』~誰にとっての「問題」なのか。~
色んなやり取りな中で「問題」という言葉が出てきていて。
…私、引っ掛かりました(笑)
結論から述べると、その人を困らせている「問題」ではなくて、メカニズムを考えたり、対処法を考える「研究テーマ」と言い換えれば、問題とされることを抱える本人にとっては否定もされず楽になるのではないのか?
「問題を抱える人」ってレッテルを貼られるよりも、「研究テーマを見つけた研究者」と呼ばれたほうが気分な良くないか?
表現の課題だったり、捉え方での課題ではあり、同じ方向へ進んでいる事柄とも感じるのだけども。
問題って誰にとっての問題?
…社会的な価値観での問題?
…本人にとっての問題?
その問題を解決したい、取り除きたい、無くしたいのは誰?
…本人?
…問題と捉えている誰か?
そこには「問題(良くないこと)って解決しなければならない」…とジャッジしている人がいて。
ケースによるが本人不在で、問題という雰囲気を出してしまっていたなら違和感も覚える。
その問題も本人にとっては、何かを助けるための行動、安心するための行動なのかもしれません。
問題だけ取り除いて助けられますか?
問題だけ取り除いて安心させられますか?
「どういう意味や価値があったのだろうか?」と問い掛けたい。
周囲から見て問題だったことが本人にとっては何か意味のある行動だった場合、ジャッジされて「問題だ、解決しよう!」と言われたら、どうなんだろうか?
問題って必ずしも取り除く必要は無いようにも考える。
『問題だらけだけど100点満点』だし『研究テーマが増えて100点満点』と言えたらステキな世の中に近付くかと思う。